It's a beautiful day

取るに足らない、ささやかな出来事について

週末、透明人間になってモーニングを食べる

気になって仕方ないんだけど見てないふりをすることってよくある。
隣の席に座っている女装男子の話だ。

週末になるとモーニングを食べに通っている新宿のコーヒースタンド。ここでは女装男子にかなりの確率で遭遇する。男子とはいっても年齢層は幅広く、若者から老人まで、みな思い思いの女装をしているのだけど、どうも年齢を重ねるに従って、女装のセンスが濃くなっていくように思う。煮込みすぎた鍋焼きうどんみたいに、濃くてくどい味わいに仕上がってしまうようだ。
この店は客数に比べて座席が少ないため、席が空いたら隣にどんな人がいようと気にせずひとまず座りたい。たとえ隣に座っているのが、会社帰りにそのまま浮浪者になって3年くらいたって伸ばし放題の髪がサーフボードみたいに固まってるような人であってもだ。
ということで、その時も隣に煮込みすぎ系の女装男子が座っていたんだけど、ぼくは特に気にせずモーニングを食べていた。ちなみに壁には、ナンパ禁止、他のお客さんに話しかけないでください、という紙が貼ってある。そんな紙がなくても、女装男子に話しかける理由も特になかった。
女装男子が席を立ってすぐ、反対側に座っていた中年カップルが、ひそひそ声で彼の批評をしだした。首の太さとか手のゴツさとか見たら、丸分かりじゃない。
まるで、女装男子が本当は男だってことを隠していることを非難していような口調だった。

ぼくたちは時として透明人間になる。
満員電車や、新宿のコーヒースタンドや、面識がない人が沢山いる場所では、特に透明になる。
でも、まったく見えなくなるわけではなくて、ちゃんと見えているんだけど、その存在を認めるフィードバックをもらっていないだけだ。存在は認められていないのに、批評をされている感触だけは伝わる。他人から批評をされることは、そこに他人がいる限り避けることはできないのだ。
では、誰もいない場所に行ったらどうだろう。そこでは、他人からの視線や批評を受けることはないのだけど、こんどは自分の視線や批評にさらされることになる。自分自身から逃げることはできない。そして、他人や自分が批評をすることを止めることもできない。
おそらく、批評を受けて沸き起こる感情になど左右されない超越した人間になるしかそこから逃れるすべはないのだろう。

さしあたって、今のぼくたち透明人間にできるのは、批評されるたびにうろたえ傷つくか、それとも何も考えずにモーニングを食べ続けるか、なのだ。