It's a beautiful day

取るに足らない、ささやかな出来事について

女王

油で黒く汚れた換気扇がゴオゴオと音を立て、狭い店内に充満したタバコと焼き鳥の煙を吸い込みダクトから外に吐き出している。そのダクトは開けっぱなしの引き戸のすぐ横にあり、吐き出されたばかりの煙は戸外の澄んだ空気を楽しむ間も無く店の入り口からまた吸い込まれてくる。

誰にも知られることなく永久機関を実現しているこの換気扇のゴオゴオという音は、しかし店内の酔っ払いが発するリミッターが外れたがなり声に勝つことはないようだ。同じ質問を二回繰り返すことになった。

今ぼくの目に前に座っている女性は、この場末の居酒屋で少し浮いて見える。居酒屋というより、銀座のクラブが似合いそうなくらい水商売の匂いがするのだ。黒いシルクのシャツにレザーのタイトスカート、きつめの化粧。保険の営業、というのが本人の自己申告なのだが。

腰かけている木製の椅子が姿勢を変えるたびに違う方向に傾ぐせいで背もたれに寄りかかることもできず、始終バランスを取りながら女性の話に耳を傾けていたのだけど、どうしても気になることが出てきたので聞いてみることにしたのだ。

その首元から見えてる刺青は、どこまで繋がってるの?

二度目でようやく質問を理解して、黒シャツの女性は軽く頷いた。

見えた?

一番上までボタンを留めた黒シャツの首元から、刺青がチラチラ見えていたのだ。それもタトゥーではなく、その筋の人が入れてそうな和彫のように見える。

実はこれ、足首まであるんだ。

となるとこれはかなり本気なやつだ。当然、根掘り葉掘り聞いてみることになった。

実は、10年くらいSMの女王を仕事でやってて。
刺青はそのときに入れたんだ。
あ、でももう仕事ではやってないんだよ。
今は趣味でやってて。
奴隷がひとりいるんだ。

その奴隷の写真を見せてもらった。
奴隷は50前くらいの白髪混じりの真面目そうなサラリーマン風の男性で、最初の写真では居酒屋で女王様と一緒に本当に楽しそうに飲んでいるのだが、次の写真では、ホテルの一室で裸にされ縛られていた。

笑えるでしょ?

と、女王は微笑んだ。

たしかに笑えるのだけど、同時に思ったのは、もしこの男性と仕事の打ち合わせであったらどんな顔をすればいいのだろう、ということだった。

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